Jul 17, 2011

職場でのIDカードを持たされています

私は都内のオフィスビルのテナントに勤務していました。その際、比較的新しい近代的な建物だったので、すべて従業員のIDカードを持たされています。私はそう言わなかったのですが、これまでにIDカードを持っている職場に勤務することはできません。最初に持たさして何かが特別なことはないのですが、仕事ができる人間になったような最先端の建物で仕事をしているような優越感がありました。
クレジットカードはないのが良い。私の基本的な考え方はそうです。しかし、確かに計画的に使用すると、お得にお買い物をすることができます。たとえば、私がよく商品を購入しているインターネットの店では、代金の決済方法もいくつかのクレジットカードを使用料無料です。代金引換は300円の手数料、振込手数料は、それ以上の価格です。うまく利用すれば大変お得なカードです。
 ◆第87回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=報知新聞社後援)(3日、神奈川・箱根町─東京・読売新聞旧東京本社前・建て替え中、5区間109・9キロ) 早大が史上最大の大激戦に競り勝ち、史上3校目の大学駅伝3冠を達成した。6区の高野寛基(4年)が東洋大を逆転して首位に浮上すると、7区三田裕介(3年)が広げたリードを守り切り、10時間59分51秒の大会新記録で優勝。2位・東洋大と21秒差の大会史上最も僅差な戦いを、スターぞろいの下級生と“雑草集団”の4年生で制した。就任7年目の渡辺康幸駅伝監督(37)が大学1年だった93年大会以来、18年ぶり13回目の総合優勝を果たし、指揮官は3度宙を舞った。(晴れ、気温マイナス1・4度、湿度90%、風向不明0・3メートル=スタート時)

 待ちに待った瞬間がやってきた。アンカー中島主将が東洋大・山本の追撃を振り切り、3冠達成のゴールを駆け抜けてから約5分。渡辺駅伝監督がようやくゴール地点に到着した。涙を流す選手に駆け寄ると念願だった胴上げの始まりだ。中島に10人分の汗がしみ込んだタスキをかけられ、68キロにシェイプアップされた体が宙を舞うこと3回。「(93年大会に)選手で優勝した時よりうれしい」。自然に涙があふれた。

 史上最高の決戦だった。27秒差の2位でスタートした6区・高野が、8キロ過ぎに首位・東洋大に追いついた。15キロ過ぎには転倒するアクシデントに見舞われたが18キロ過ぎにスパート。36秒差をつけた。7区・三田も飛ばして一時は1分24秒に差を広げたが、3連覇を目指す東洋大が追い上げゴールまで残り2キロでは15秒差に。渡辺監督は給水の際に「練習を思い出せ」と“直ゲキ”。「力がこもっていた」と中島。指揮官の言葉が18年ぶり13回目の優勝を決める最後の力となった。

 04年に母校の駅伝監督に就任後、学生長距離界のスターだった自身の人気と、スポーツ科学部の推薦制度で有望な選手が集まった。08年大会に竹沢健介(現エスビー食品)らを擁し往路優勝。「すぐに総合優勝できる」。だが、勝てそうで勝てない。試行錯誤の末にたどり着いたのは原点回帰だった。

 7位だった前回大会直後。自身が選手時代に培った「徹底的に長い距離を走らせる中村(故・清氏=元早大監督で瀬古利彦氏の恩師)流トレーニング」で鍛えることを決断。エリート選手に長い距離の練習を積ませ、北海道の夏合宿では故障した選手を“強制送還”させるなど心を鬼にした。

 自らも厳しく律した。「今季は全部勝ちます」と宣言。もし、勝てなかったら辞任する覚悟だった。選手との約束を守るため、自身も体重83キロからダイエットを開始。09年1月に長男・康介君が誕生したが、月の半分が寮生活で選手を支えた。「ダメならすぐ(Bチームに)落ちる緊張感があった」と矢沢。直前に主力の佐々木、志方が故障する苦しい状況も、激しい練習に耐えた選手の自信が3冠につながった。

 次に目指すのは史上初の2年連続3冠だ。「喜んでいればすぐに油断が生まれる。そうならないためにも狙っていきたい」。有言実行の指揮官は、初の偉業に視線を合わせている。

 ◆渡辺 康幸(わたなべ・やすゆき)1973年6月8日、千葉・八千代市生まれ。37歳。千葉・市船橋高で、1万メートル28分35秒8の日本ジュニア記録(当時)を樹立し、早大へ。箱根駅伝は1年時に総合優勝。3年、4年と2区区間賞。95年イエーテボリ世界選手権1万メートル12位、96年アトランタ五輪代表。エスビー食品を経て04年4月から早大駅伝監督。竹沢健介を08年北京五輪出場に導く。同年、箱根駅伝往路優勝。今季は箱根駅伝で史上3校目の大学駅伝3冠を達成。176センチ、68キロ。家族は夫人と1男。

 ◆3冠校の翌年 大学駅伝3冠は過去2度。90年度の大東大と00年度の順大だ。2校の翌年度の成績は大東大が出雲2位、全日本3位、箱根5位。順大は出雲V、全日本3位、箱根は2位。

 

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第87回東京箱根間往復大学駅伝競走 、 箱根駅伝 、 箱根町 を調べる

 ◆第87回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=報知新聞社後援)(3日、神奈川・箱根町─東京・読売新聞旧東京本社前・建て替え中、5区間109・9キロ) 誰もが認める活躍だった。2日の2区で歴代2位となる17人抜きの快走と区間賞が評価され、東海大の村沢明伸(2年)は金栗四三杯(最優秀選手賞)に輝いた。「いい条件が重なったこそ出せた記録。もっと力をつけていきます」と慢心はしていない。村沢の奮闘で往路3位で復路を迎えた。結果、順位を1つ落とし4位だったが、4年生たちが意地と粘りを見せた。9区を走った金子太郎主将は「(4年ぶりに)シード権を取れて後輩に何か残せた」と充実した表情を見せた。

 新居利広駅伝監督(58)は「まだシードが取れただけ。もう少しタイムがほしかった」と厳しかったが、レース後のミーティングでは喜びを隠せなかった。指揮官自ら、選手一人ひとりに握手を求め労をねぎらった。84回大会は佐藤悠基(現日清食品グループ)らスター軍団を擁しながら10区途中棄権。その後の2年間は予選落ち。だから普段は見せない監督の姿に、選手は涙を流し一緒になって喜んだ。

 4年生が引退し、チームは村沢、早川ら若い力が中心となる。今までは先輩の後を追うことが多かった村沢は「縦の関係も大事だが、横の関係も必要」と自ら率先してミーティングを行うなど、エースとしての自覚も芽生えている。総合優勝へ。進化した姿を見せる村沢を中心に“湘南の暴れん坊”が、ホンモノの暴れん坊になる。

 ◆金栗四三杯(かなぐりしそうはい) 3度の五輪出場を果たし、「日本マラソンの父」と呼ばれた故・金栗四三氏の功績をたたえて、第80回(2004年)記念大会から創設された。箱根駅伝の開催に尽力したこともあり、金栗生誕の地・熊本県玉名郡三加和町が寄贈を申し出た。「箱根駅伝で活躍し、やがて世界に通用することが期待されるランナーに贈る」という定義がある。杯は金栗が当時の世界最高記録をマークしたストックホルム五輪予選で優勝した時に手にしたカップの複製。

 

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